社長コラム:事業継承活動その2

社長コラム:事業継承活動その2

いよいよ新年が動き出しました。
何かとご多忙のことと存じますが、本日もコラムにお付き合いいただきありがとうございます。この内容が少しでも皆様のお役に立つことができれば幸いです。

さて。今回も事業継承をテーマに話をさせていただきましょう。
弊社は現在、社内・外部人材も含め、幅広い視野で適任者を検討している最中ですが、経営者交代時の混乱を最小限に抑えるために、2年前より様々に準備を進めていることは前回お話した通りです。11月のコラムでは属人的な判断や、感情による人事評価のブレを排除する「勤務評価判定装置」を紹介させていただきました。

そして本日、私が皆様にお伝えしたいのは、2025年2月に精算したフィリピンの現地法人『KINOSHITA CHIKURO PHILIPPINES,Inc.』について。この法人は弊社の事業強化に加え、技能実習生の帰国後の雇用確保、さらにフィリピンにおける社会インフラの整備に貢献しようと約7年前に私が設立した会社になります。
けれど事業継承を行った場合、後継者は遠隔地であるため状況の把握が難しく、多くの場面で不安を感じるでしょう。事業設立の経緯も知らないわけですから、そもそも社長を引き受けることに二の足を踏むかもしれません。

私自身も過去を思い返せば、会社設立に要した期間は1年半。
関係各所への許可申請に多くの手間を要し、いざ事業がスタートするも予期せぬトラブルが起こり、大きな経営判断を迫られるなど困難が多々ありました。そのため、事業継承を行う前に、私が責任を持って会社の清算をしようと考えたわけです。後継者が新たな経営体制の構築に集中できるよう、適切な経営資源と時間的余裕を提供した方が良いですし、銀行担当者も前向きに受け止めてくれました。

そして2025年2月24日にフィリピンへ。
3月1日には大分へ帰ってきたのですが、手続きはどこまで進んだと思いますか?

実は驚くことに、その間に全ての精算が終わってしまったのです!
最低でも1年半〜2年はかかると覚悟していたのですが、想像もできないような出来事が現地で起き、あっという間に行くべき場所・会うべき人に会うことが叶ってしまいました。奇跡が起きたきっかけは、フィリピンへ向かう飛行機の中。
私は機内で到着後の動きについて頭を悩ませていました。
現地従業員の理解と合意が得られるかどうか。労働法規に従って事前に行ったコスト計算の精度は間違っていないか。そのほかにも株主総会や資産処分、事業停止に伴う口座の凍結など課題は山積みです。けれど、ふと私の頭にある男性の顔が浮かびました。

その人は7、8年前に私が炉を売るため、フィリピンで営業をしていたときに出会った人。30代の青年で奥さんも雰囲気が良く、夫婦揃って私の話に耳を傾けてくれました。そのおかげでスムーズに仮契約まで進み、残すは本契約のみというところでした。
そして半年が経った頃、再び社員とフィリピンへ。するとその彼の様子が以前とは明らかに異なり、会話をしていても歯切れが悪い。私はすぐに彼に何かが起きたのだとわかりました。

「どうかしましたか? 遠慮せずに言ってください」

すると、彼はこの半年間で起きた出来事を語り始めました。弊社と仮契約を結んだ後、他国の企業が炉の営業に来たこと。そして自らを除いた従業員は、木下築炉の製品ではない炉の購入を検討しているというではありませんか。若くして組織のリーダーとなった彼が年長者に意見することは容易ではありません。ですから私は契約破棄を彼に伝えたのです。

「それであなたの立場が守られるなら私は構いません。だけどもしもこの先、炉を増設する機会があればぜひ声を掛けてください」という言葉を添え、その場で契約書も破棄して。
同席していた社員にはそりゃあもう、怒られました。
でも目の前の彼がどんなに困った状況にあるか、考えてみたらわかるでしょう。
彼は帰り際に「ご迷惑をおかけしました。もしもフィリピンで困ったことがあれば連絡をください」と頭を下げてくれました。

そしてこの出来事が、2025年2月24日に繋がるのです。
あの日以来お付き合いはなく、今この瞬間まで忘れていたあの時の男性に電話をしてみようと考えたことが転機となりました。
彼は私からの連絡をとても喜んでくれたのです! ご夫婦揃って空港まで迎えに来てくれたことも嬉しかったですね。その後は彼の家に行き、食事を囲みながらお互いに空白の7年間の話を色々と…。そこで初めて私は今回フィリピンを訪れた理由を打ち明けました。
すると彼は私と会わない間に多くの経験を積み、目標を達成していく中で組織の中で信頼を高めていたのでしょう。
「今の私があるのは安樂さんのおかげです。次は私があなたを助けます」と力強く話し、翌朝には本当に様々な手配をしてくれました。彼自身が動くことは立場上難しいため、奥さんが4日間ずっと私の隣にいてくれて。

例えば資産の処分のひとつに社用車の問題があったのですが、私が相談するなり奥さんは現地の中古車センターに一緒に足を運んでくれました。するとすぐに査定が始まり、現金化が終わると銀行へ。会社の口座解約には普通、申込みから数ヶ月はかかりますが1時間程待ったところで解約が完了。タワービルに入った事務所の解約や、売掛金の回収も驚くほどスムーズに終えることができました。
現地の従業員にも会うことができ、事情を説明した上でしっかりとした金額を提示すると全員から翌々日にはOKの返事。流石にここは揉めるのではなかろうか。一筋縄ではいかないだろうと心配をしていましたが、適切な支払いに納得をしていただけたようです。
最終日には弁護士事務所に株主と共に集まり、書類にサインをして完了。3日間で全ての手続きを終えることができてしまいました。

けれど驚くべき展開はまだまだ続きます。
28日の夜に従業員と弁護士から声が掛かり、急遽一緒に食事をすることになったのですが、私はお別れ会を開いてくれるのだろうと考えていました。けれど彼らの口から語られたのは、「代理店制度を認めて欲しい」という意外な言葉。
従業員数名はすでに商社への再就職が決まっていると話し、雇用の背景には“木下築炉で学んだ焼却炉・火葬炉を売るノウハウを持っている”という理由があると言います。
自社だけでは到達できない地理的な地域に、弊社撤退後も製品を普及させることができるのは私にとって喜ばしいこと。
実は以前から代理店制度に関心があったのですが、商習慣の違いにより諦めていたのです。私はこの話を快諾し、代理店として木下築炉のノウハウを適切に扱うための枠組みと明確な契約、報酬の支払い条件・時期などについても取り決めました。その話は現在も進行中で、そう遠くない将来に4〜5箇所の代理店がフィリピンに誕生予定です。

見返りを求めていなくても、かつての善行が巡り巡って自らに何らかの形で良い結果をもたらした不思議な経験。当事者である私自身も驚いていますが、この出来事を良いエネルギーの波紋として捉え、これからも適切に事業継承活動を進めていきたいと考えます。
 

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