社長コラム:涙の秘密

社長コラム:涙の秘密

突然ですが、皆さんが最近涙を流したのはいつですか?
私は今朝、目覚めた瞬間に涙が頬をつたいました。
それは昨日も、一昨日も。その前の朝も…。

今日という日が何か特別な記念日だったということはありません。ただ、無事に朝を迎えられたことが嬉しく、感謝の気持ちが溢れ出しました。

大切な妻や子ども、孫たちが病気ひとつなく、元気に過ごしている姿を目にしたときもそう。従業員が人目のないところで、指示を受けずとも努力する姿勢を見かけたときも目頭が熱くなりました。また別の日は場所も名前も知らない、飼い主と犬の動画を数秒間目にしただけで心が打たれたのです。

ですがこのような出来事はあくまでも最近の話で、以前の私からは考えられません。
どんなに暗く険しい道を歩んでいたとしても、歯を食いしばって絶対に泣くものかと自らを奮い立たせてきた人生でしたから。それなのに、どうしてしまったのでしょう。

70歳という年齢がそのように作用するのか。精神面や経済的な余裕も関係があるのかもしれません。ですがどんなに頭を悩ませても、手にしたパズルのピースが私の疑問を解消することはありませんでした。

けれどある日、人が一生のうちに流す涙の量は生まれながらにして決まっているのではないだろうか。涙を溜めたグラスの底が尽きてなくなるのは、最期に目を瞑るときだと考えたのです。若い頃に私は多くの困難や悲しみを経験するも、適切に感情を表現することができませんでした。気持ちを押さえ込み、流すのなら涙ではなく汗を流すのだと。悲観する時間はない。努力を重ね、行動するしか道はないと考えてきました。

けれど今の私は地位や名誉、物質的な豊かさに対する関心が薄れ、心の波はとても穏やかです。その理由はきっと神様が、“もう涙を流しても良い”と知らせてくれているからではないでしょうか。人間はいつか死を迎えますが、その日がいつであるかは誰にもわかりません。

それでも一つだけ実感しているのは、そろそろ溜めたままになっていた涙を私自身が消費する時期にきているということです。そんな新たな人生のステージに差し掛かったことにより、かつては当然だった日常の出来事や恵みに意識が向き、感謝の気持ちが芽生えるようになりました。
人は誰しもが生まれたときは裸であり、皆声を上げて泣いています。
小さな命を前に集う周りの人々は喜びと興奮に満ち、これからスタートする人生に多くの期待をするでしょう。だからこそ自らが旅立つそのときは、私自身が悔いなく笑い、大切な人達に「良い人だったね」と、その死を惜しまれるような生き方をしたいと思います。

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